column家づくりのマメ知識

旅行記

珊瑚礁の島の家

珊瑚礁の島の家
沖縄県 八重山郡竹富町へ渡る
(Mo-Ku通信vol'18)

きっかけは、ネットでのぞいた格安航空会社のサイトでした。
おりしも、新渡戸稲造氏1人分でオツリの余裕をもって国内各所への 往復をうけおってくれるというセールが開催中だったのです。
せっ かくなら一番遠い所へ…!
八重山の島々をめざす1泊2日の個人研 修(という名の旅行…)は、唐突に決まりました。

八重山諸島は、台湾まであとわずかという日本の南端にあります。
沖縄県ですが、沖縄本島からは約500キロと、東京~大阪間ほど離れています。
関西空港での搭乗から3時間。
アナウンスが到着間近を告げると、窓側席から見下ろす青い海の一部で、浜に打ちつける波の白い飛沫 をフチドリに、くっきりと浮かぶ島々の姿がありました。

メインの目的地は竹富島。沖縄古来の景観が残されています。
港 から集落までをバンに揺られてガタガタ行く道の両脇に、建築業の 我々には馴染み深い緑が、かなりワイルドに茂っています。新築祝 いの観葉植物でメジャーな、ああクワズイモ、クロッグ…こんなに 伸び伸びと育って…。
やがて民家が見えてくると、タイヤの音に変化が。バリパリバリ…心地よい振動。
敷き詰められた珊瑚のカケラが、はぜる音です。
焼けつく太陽の元、白くまばゆい珊瑚の道。灰褐色の石垣と、色濃い影。白・黒のコントラストに、シーサーが座 る赤い屋根と、いたる所で咲き乱れる花々が、鮮やかな色味を添え ます。そこはまるで南の島の物語の世界。特有の情感がたまりま せん。

島の環境と融和した、機能的な住まい

それでも、テーマパークに来たような…とはならず、物語に迷い込んだような…と言いたくなるのは、流れている時間が“現実”だからです。
ここでは、現在も島民自身による高度な自治社会が息づいており、「売らない」「汚さない」「乱さない」「壊さない」の島を守るための4原則に、伝統文化と自然・景観を観光資源として「生かす」を加えた基本5原則を柱とする竹富島憲章が厳守されています。
ほとんどの土地・家屋が、今もなお、代々ここで生活してきた人達のものなのです。
Photo by (c)Tomo.Yun. http://www.yunphoto.net 
ありし日の姿をそのままに建つ竹富島の住まいは、非常に機能的です。
道は、日射をよく照り返す浜の珊瑚砂を定期的に運びこみ撒き続けて、集落の温度の上昇を防ぎ、水はけを良くしています。
年間雨量2400mmをマークする多湿の亜熱帯性気候下で、排水は疫病対策と衛生状態を保つための重要なキーとなります。
足下と石垣・屋根瓦には、珊瑚と石灰岩や地元の粘土という多孔質の材を用い、放熱性・吸放湿性を確保。民家はできるだけ南向きに建て、“福木”(フクギ)という常緑樹を敷地内北西側に植えます。
石垣で緩和した夏の涼しい南風を取り入れ、冬の冷たい北風は遮る仕組みです。
これらは一つ一つの作用もさることながら、相互に良い影響をもたらし合い、全体として快適な住環境を実現しています。

その姿は、時代とともに歩んできました。現存する町並みは百年ほど前のもの。
おなじみの赤瓦が、それまでは制限令により平民にゆるされていなかったためです。
明治末期以前は茅葺き屋根が主流でした。
しかし、夏は度重なる台風、冬は北西の季節風が卓越し、年中強風にさらされる土地柄。屋根は重く丈夫な方が有利です。主流は次第に赤瓦へ移り変わりました。

木造家屋の基本は、屋根ほど劇的には変化しなかったようです。
平屋で、土間はなく、湿気を避ける高床式となっています。
風を受けにくい形の寄棟の屋根裾から、地面までの距離はなるべく抑え、低くつきだした軒の懐に“雨端”(アマハジ)という緩衝空間をとります。日差しと大雨の降り込みを防ぐためのもので、平均して軒先より60センチ以上、雨端分を後退して、屋内となります。
居住空間より一回り広範囲に張り出した重い屋根を支えるため、柱は本数を多く、がっしりと構造体を組みます。
母屋の壁には主に板が使われますが、多くは雨戸という形で、開閉と移動の自由度が重視されました。

「壁がほとんどないなんて、ご近所の視線は?」と気になりますが、ここでは敷地を一周、石垣が囲っています。
旧来は平均2メートル。現在でも平均が1. 5メートルの高さがある石垣は、南側の一部を開けておき、入り口とします。一歩入った所へヒンプン”と呼ばれる石の衝立が配され、風の直入を防ぎ、目隠しの役目を果たします。
こうした外(集落)と内(屋敷内)の視覚的な境界線もあり、ヒンプンを一歩踏み込んだ先では、かなりの開放的な空間が実現できるのでしょう。沖縄の古民家では、用途の違う空間が部屋として一つ屋根の下に囲われるのではなく、台所や納屋・客室など、用途ごとの屋舎が、母屋と中庭を中心に、散分して建てられます。
この石垣のなか全体が、一つの住まいという感覚なのかもしれません。

ですが長い時の流れと共に、ガラスとサッシの普及や観光客を呼び込む目的で、壁面積は増え、石垣は低くなる傾向にあります。

住まいの業と知識の継承

特筆すべきは、材料の調達から施工まで、ほとんどの作業が専門の技術者のみではなく、島民自身の手によってされる点です。
新築や定期的な屋根の葺きかえ、道や家の手入れは、覚えがある者を頭領に“ユイ”という相互扶助の制度によって、農閑期にみんなで、または個人でこなしていました。
現在では、新築を島民のみで行うことはしなくなりましたが、解体家屋がでた際の古材は、島の建物の修復に備え、共有財産として保管しているそうです。
住まいに関することが、日頃の仕事の一つとして生活に組み込まれているのです。
竹富島では、素材の知識や業の智恵が、意味や仕組みの成り立ちと共に、広く継承されてきました。
結果、合理的な選択として、伝統的な在り方が引き継がれてくることのできる素地が育まれたのではないでしょうか。

ここに暮らす人々は、情緒的な理由だけで伝統的木造家屋に住み続けているわけではないようです。
近年では竹富島の住まいのパッシブな環境制御方法に関する研究が盛んに行われています。
現代的な改修の手が入った民家と、改修が比較的軽度な古民家で、風通しの比較実験なども実施されています。
結果は、現代的な改修が進んだ住居で、機械による冷暖房を用いない場合の居住性が低下しているというものでした。
今でも最小限の改修で従来どおりの過ごし方を続けている住宅は多く、そうした家庭では、エアコンの稼働率がかなり低いそうです。 

レンタサイクルをしても、竹富島の集落内では珊瑚がじゃりじゃりして、なかなかペダルが漕げません。
しかたなく、ゆったり歩いて巡ります。
耳には陽気な三線の音。蝶がひらりと舞い、水牛のツノにとまります。こんなのどかな中を、やっきになって突っ走らなくてもいいじゃないかと、気分はのんびりほどけていきました。
町の中心には、小中学校。美しい星砂の海岸へ向かうと、途中では立派なお墓が珊瑚礁の海をのぞんでいます。
人口の激減や高齢化などの問題をはらみつつも、竹富島の人々の暮らしは、文化財であるとともに、温もりを失わない現在の営みでもありつづけていました。
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