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旧中筋家住宅 Ⅰ。

旧中筋家住宅は、和歌山インターを降りて市内に向かい、VWのショールームの有る交差点を東側(左・桃山町方面)に入るとほどなく訪れる和佐小学校近くの交差点を南(右)に折れ、伊太祁曽伊方面に向かって走ると間もなく左手にみえてきます。

現場への行き帰りで何度もこの道を通り、旧中筋家の存在は知っていました。何年か前にも訪ねたことがありましたが、この度縁あって二度目の訪問です。

南側にある表門を通って一足敷地内に踏み入れると、住宅と言えどもさすがに大庄屋の役宅を兼ねた堂々とした風情に圧倒されます。正面右に位置するのが母屋の大玄関。ここは紀州藩からの使者などを迎えるための玄関ですから一般の人の出入りはできません。見学者も入れません。

普通はその左手の小玄関から。そこにも立派な駕籠(かご)が置かれていました。そもそもこの住まいの成り立ちが、現在を生きる我々一般人の理解の遠く及ばないところにあるものなのでしょう。

少し見えにくいですが、屋敷内に板絵図といわれるこの屋敷の設計図(平面図)が展示されていました。この絵図は嘉永5年(1852年)の建築時に使われたものらしいです。ですから、この建物は築後172年ということ・・・しっかりと造ってちゃんと保存の措置をすれば、日本の木造建築物はこんなに長く生き続けるのです。

和風建築の基本は雁行だ・・・と聞いたことがあります。庶民の小さな古民家はおしなべて大屋根のひと棟ですが、由緒と規模のある建物に風情と風格を与えるには、季節に空を渡る雁の道行きの姿に似た、ギザギザに雁行した平面や屋根の形が適している・・・という意味です。

この建物は典型的な雁行平面を持つ建物ではありませんが、それでも用途に応じて複雑に構成された平面や、見事にかけ渡された屋根形状からは日本建築の妙と職人の技を感じずにはいられません。

主屋の表座敷には南の庭と月見台、隣の木地の間と畳廊下には西の庭、大事なお客様を迎える大広間には北の庭、西の三畳や台所からは中庭、3階の望山楼からは和佐平野が一望できます。主な部屋から折々の花鳥風月をめでることができるよう設えられたこの建物は、旧中筋家の栄華とともに、古き良き日本人の生き方や美学を体現する建物なのです。