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創り出す人は偉大だ!

長男が、新しく出たBLUE GIANT SUPREME(ブルー・ジャイアント、石塚真一)を持ってきてくれました。数々の漫画賞をもらっている、なかなかにおもしろい漫画です。ですが、漫画ですので音楽は全く聞こえてきません。音の全く聞こえてこない音楽漫画が成り立つことが不思議ではないですか?数々の賞をもらっている・・・ということは、読んでいる人に漫画で書かれている音楽がそこそこ理解できている(どんな音かは良く分かりませんが、何なり音が鳴っている・・・ように感じている)ということではありませんか?
音楽に限らず、人は自分の中にないもの(経験を通した蓄積のないもの)は聞こえませんし見えません(聞こえても見えても理解出来ません)。ならば、空想科学映画など誰にも理解されず興味など示されないようなものですが、現実にはアバターやスターウォーズが大ヒットするのです。これは、自分の中にあるものを組み立て直して類推することが出来る・・・ということでしょう。感動の大きさや共感の大きさはあくまでも個人の経験・興味の大きさや深さによるところが大きいものです。つまり作品の善し悪しは、人をいかに刺激し類推を促し感動を呼び起こすか・・・という作り手側の手腕と、それに応える受け手側の経験や洞察力・感受性によって決まるということです。しかし、人間に特有のこの能力にも限りはあって、そこそこの準備と下地も必要です。ですから、街中で突然に示された悪意あるいは善意などに理解が及ばず、なにが起こったのか良く分からない・・・などということにもしばしば出くわす訳です。
何を言いたいのかというと・・・この漫画を読んだ時にそれぞれの読者に聞こえている音楽はみんな違うもの・・・と言えるわけで・・・さしたるジャズファンでもない私に、パパ~やバッバーやタカタカなどの擬音だけで音楽シーンを成立させて、おもしろい!・・・と感じさせる作者はさすがに優秀だ・・・と言うことです・・・持って回ってすみません。