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古民家再生 大阪府堺市

大阪府堺市で古民家の再生工事が今年の3月の初めから始まっている。まずは離れの再生(改装)を済ませ、そしていよいよこれから主屋の再生(改装)である。

これが建築当時の貴重な写真。右隣の長屋門には越屋根があって、母屋には縁側がなく直接のタタミ間となっている。現在の姿は下の写真。南の掃き出しには縁側が付いたが、基本の成り立ちは新築当時からほとんど変更がない。しっかりと建てられた日本建築は100年以上持つ・・・歴史の検証がしっかりとされたわけである。

玄関土間に入ると正面にグリッドを形成する見事な松の丸太梁。その下には厚長押である。当時の建物には、現在の建物のように耐力壁という外力を受け持つ壁がない。柱・梁組を厚長押と土台長押とでしっかりと固めて、耐力壁の代わりとした。もちろんコンクリートの基礎はない。突き固めた土の上に基礎石を置いてその上に柱を立てている。

だからと言って、現在の耐震構造の建物より地震や風に弱いのか・・・というとそうではない。大きな外力が加わると瓦は滑り落ち、建物は少し傾くが、そうすることで力を逃がし建物内の人の命を助ける・・・そういう構造なのである。どちらが優れた構造であるのかは一概には言えない。

畳の間と土間では床の高さが違う。当然、間仕切り建具の鴨居を掛ねる厚長押にも高さの違いがあるが、構造体にはできるだけ手を加えたくない。ところによっては頭を打ってしまうほどの高さになる開口部もあるが、住まい手の了解を得てそのまま使っていただくことにする。丸太梁・厚長押などの横物は地松である。

柱の標準の太さは4寸角(12センチ角)を仕上げたものであるが、ヶ所や納まりによって少しづつ違う。下部の写真の中央の大黒柱は地の桧、太さは8寸角(24センチ角)。対になるのが7寸角(21センチ角)の小黒柱である。

木造りはどこも立派で、築100年を迎えようかとするこの建物の建具類はいまだに大きな狂いもない。堺あたりは昔から桧の産地であった。材料も仕事も流石というほかない。

グリッドの小屋類を構成するのは丸太類。丸太と丸太を縦横に組み合わせてなお、しっかりと精度の出た仕事である。こんな細工を受け継ぐ大工職人はどんどんと少なくなる。再生の仕事は大工職の技能の継承のためにも続けなければならない仕事である。

この建物には2階があったが、居住するには少し階高が足りない。床に薄く土が敷き詰められて、たくさんのシバが積まれていた。土は雨漏れの時の水のしたたりを緩和し、湿気た時や乾燥した時の良き調湿材となったことだろう。昔ながらの生活の知恵である。梁組は低い空間をうまく利用するために、実に効率よく組まれていた。今見ても美しいと感じる。

環境と親和性高く共存した時代にはこれでよかったかもしれないが、現在住宅として使用するには、このままの温熱環境では少し人間に厳しすぎる。この際に現在住宅として十分通用するだけの外皮性能(断熱・気密の性能)と近代設備をこの建物に追加するのが今回の工事である。

再生の仕事は、年月を経て一見価値がなくなった、と思われたものに大いなる価値を見出す仕事・・・やりがいのある仕事である。