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旧中筋家住宅 Ⅴ(大広間と北の庭)。

旧中筋家住宅でいちばん北側にあって、いちばん広い部屋が大広間です。この空間がこの住まいの最深部で、要人を迎えるためだけに造られたお部屋です。ですから、日常はこの家の住まい手がメンテ以外で入ることは許されていなかったのだそうです.

20畳の大広間は、西側に書院付きの床と床脇がしつらえられ、南北と東側は日本屋敷らしく全面が掃き出しの開口部になっています。床脇の天袋の襖の絵や、南の襖の文様はいずれも紀州藩にゆかりの深い由緒正しきものです。

附室は三つ。東の3畳は取次に、中央の5畳はお給仕に、西の3畳はおつきの人の控室に使われていました。各部屋は畳敷きで、そこに至る東の畳廊下、居間、お給仕のための西の廊下からそれぞれ20センチほど高くなっています。

大広間の北側に広がる庭は、南の庭のようには造り込まれてはおらず、和歌山特産の青石や、マキの木でわりとのびのびと形造られています。縁側の外にある背の高い手水鉢は御影石造りで内部は水琴窟になっているのだそうです。屋根の出桁を支える柱は四角に成形されていない木なりに曲がった変木で、水琴窟の涼やかな水音とともに風流をかもしたことでしょう。

北の庭の西側にある御成門も要人専用の入り口で、住まい手の日常の出入口ではなかったようです。近くまで来られた要人が、専用のこの入り口から入って、すぐ西側にある茶室で茶の湯を楽しんだり、大広間で特別なもてなしを受けたりしたのでしょう。この辺にもこの住まいの特殊性がよく表れています。

住まいの一番奥を住居部分より1段高くして、大きな庭付きの大広間を設け、必要な附室を整え、しかもそこに至る経路はたとえ廊下といえども丁寧に畳を敷き込み、さらには自分たちでは使わないこれらの施設を日々大事に手を入れて守っていくのは、現在人には到底合理的とは思えない行為かもしれません。

しかし、訪ねてくる大切な方をもてなすこれらの心構えは、決まり事をよく守り礼儀正しい、おもてなしの心を持ち親切である・・・などと評される現在の日本人の精神性の基礎をなす大事な心の形であるように思います。