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愛着がかたどる町並 博多・唐津

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愛着がかたどる町並 博多・唐津


(Mo-ku通信vol’34)

地元の人と材と技術を用い、人々が出費可能な資金でまかなえるものを建てる。状況や環境にぴったり合う最適解が、修正と洗練を重ねつつ繰り返し再現され、やがて定番となる。風土や歴史を背景に、膨大な営みの蓄積から押し出されてくる伝統建築には、それだけの重厚さと迫力がそなわります。
一方で、街のランドマークとなる大規模な現代建築や、時代のトレンドをつくっていくような作品には、作家の発想によって生み出される空間や体験の新しさがあります。地に足のついた定番からはるか遠い所へ飛び立つ、人間の力強い創造性が感じられます。大規模な現代建築は、人や材の調達、加工の限界、経済的な問題など、多くの制限が個人による建築よりずっと少ないなかで計画されます。世界でたった一つであることにこそ価値がおかれ、一度きりの特別な仕様に、その時代の最先端が結集されるのです。

中村伸吾建築設計室では、福岡県博多区と佐賀県唐津市へ研修にいってきました。文化財や街のランドマークなどを訪れる中で感じたのは、建物が鼓動しつづけるために不可欠な、あることでした。
それは、愛されること。誰の用も満たさなくなった建築物は、忘れ去られて消えます。建物が建ってあるというのは、そこで過ごし愛着を持つ誰かが居るということに他なりません。無機物からなる建築は、生身の私達から見れば超然とそこにあるようにも感じられますが、古びるという宿命において、同じように寿命をもちます。 長らえるための手を入れることができるのは、人間だけです。
誰へ向けて建てられたのか。誰かに向けて役目を果たしているか。ということは建物にとって、命綱のようなものなのかもしれません。

 

博多のランドマーク建築

ぐりんぐりん

日本の著名建築家・伊東豊雄氏による公共の体験学習施設。
その姿は、まるでならだかな丘の重なりのよう。居心地は、折り重なる“かまくら”みたいでした。雪を固めて作る壁には特有の穏やかさがあり、あの落ち着く感覚は「建物」の中というより「巣」という感じです。ぐりんぐりんのアーチを中へ入っていく時にも、そんな雰囲気を味わいました。

「平坦な埋め立て地へ建築によって起伏に富んだ丘を出現させる」というのはテーマの一つだそうです。

 

 

アクロス福岡

世界的な建築家エミリオ・アンバース氏の基本設計による公民複合施設。商業施設という面と、緑が人に一息つかせる憩いの公園であるという面の両方が、見事に両立していました。
ウラは直線で構成された人工的なデザインで、ビル群の一角として都市に馴染んでいます。しかし、オモテは緑に覆われていて、芝生から眺めたとき、建物までが一連なりの公園の緑のように感じられます。見る角度で劇的に印象が変わるのに、全体には一つの調和があるのです。吹き抜けのガラス越しにはそそぐ木漏れ日。モダンなオフィスである内部と緑豊かな外部も、絶妙に溶け合っています。

水のせせらぎ。鳥のさえずり。梢のこすれあう音が、どこにいてもものすごくリアルに届きます。近代的なビルの一面が山であり、滝まで掛け流されている……76種類3万7000本の外部植栽は、15年で約120種類5万本に増え、現在も繁殖中とのことでした。
それぞれは異質な要素が、一つの建築物の多面性として生き生とと統合された姿は、圧倒的に斬新です……!!

 

市民に開かれた、唐津の文化財

旧高取邸

明治38年築。改修や増築を重ねた母屋は、洋風建築を取り入れた数寄屋造り。
港という立地を最大限に生かした海の借景が美しい。欄間や70枚に及ぶ杉戸絵。釘隠しやふすまの持つ手に至るまでが七宝で作られた、優美な邸宅でした。地域の迎賓館でもあったそうです。
動くことのない建物へ、随所の工夫で「動き」が表現されてあるのが、とってもユニークでした。
母屋にある能舞台は、普段は畳間です。数間つづきの広い座敷で、客人を招く際はそこで宴会が開かれたといいます。ところが、畳をあげると板間が現れます。部屋を区切るフスマや杉戸は取り外せ、なんと敷居まで取り去ってしまえる。そうして数間をつなげ、段差のない大きな能舞台が出現します。能舞台まわりのフスマ絵は、両面で絵柄が異なります。宴会時には中国の故事にちなんだ宴会を盛り立てる風雅な絵柄。能上演の際には、演目に応じた舞台用の絵柄の方を、人がいる内側へ向けるのです。同じ空間でも、宴会用の時と能舞台の時では、間取りも雰囲気もまったく様変わりします。
欄間も見逃せません。建築当時は日が暮れると、居室にゆらめく明かりが灯りました。火のゆらめきを織り込んで、影絵のように動いて見える蝶や動物の図柄が随所へ彫り込まれてあります。

 

鯨組主 中尾家屋敷

初港町に建つ江戸時代の町屋建築。捕鯨の衰退とともに忘れ去られつつありましたが、大学の調査で全国有数規模の歴史的な建築物と判明しました。一度は所有者がかわり酒屋として活用されてあったのを、史料をたよりに当初の鯨組主屋敷として復元したものです。
大陸から飛来する黄砂で塗られた壁があります。ベージュ色の壁に、太い筆で自由に書いたような、松の梁のうねりがダイナミックです。木材といえば、まっすぐな桧や杉を見慣れている目には新鮮。
通りへ面した西側の窓は、部屋内側に木製建具が入り、外側へ野ざらしの障子がはまっているます。風雨は、鯨油を塗布してはじくそうです。高価な鯨油を贅沢に使ってみせることで、権勢を示したのだそう。内壁の黒い部分にも、鯨油を塗った形跡があるとのこと。
捕鯨という生業が、特徴的に現れた建物の姿が魅力的です。

 

旧唐津銀行

明治18年設立。東京駅を手掛けた辰野金吾の弟子・田中実が設計。
銀行として建てられたものが1997年まで銀行として使われ続けたため、建築当時と変わらぬ様子が現在でも体感可能な貴重な例。
イギリスのクイーン・アン様式を日本式にアレンジした「辰野式」スタイルで建てられました。赤煉瓦と白い御影石の壁。屋根の上に小塔やドームを王冠のように載せた姿が特徴的です。

 

伝統の建築を伝える試み

埋門ノ館

唐津城のお膝元、古くは武家屋敷がたくさん建ち並んだ町内にある公共文化施設。
残された武家屋敷がわずかとなり、武家屋敷の仕様や建てる技術が失われつつあるそうです。それを継承する機会として、地元武家屋敷の建築様式で、最近、新築されました。誰でも自由に入ることができ、地元の方々が集会やお茶会、習い事に活用しています。
主な材木は県産の杉。能座敷があることで有名な旧高取邸の近くに建ってあり、埋門ノ館も一番奥の板間は能舞台となっています。 床下には舞台の音の響きを良くするために、瓶が仕込まれました。

「文化財に指定されると、手入れの方法や業者さんも規定を満たした方々に限定されてしまう。せっかくの腕が良い地元個人業者さんに頼めない場合がある……そうすると地元の職方で守り伝えてきた文化を後世へ伝えることが難しい。新築の場合には、文化財とはちがった業者選択が可能。アプローチの幅が広く確保できる利点がある。歴史的な建物を文化財として保存していく活動と、地域に建つ公の新築施設を文化継承の機会として役立てていく取り組みは、両輪で成り立てば理想的」と、文化財保護に関わる仕事をされている方から聞かせていただいたことがあります。
埋門ノ館は、まさにその一例といえそうです。公の建物が地域の文化資産継承に一役かい、開放されることで、市民の理解や愛着をはぐくんでいます。私達の地元の公共施設がどういったものかを思い浮かべれば、公民館である埋門ノ館がテーマを貫き地域に伝わる伝統様式の木造で竣工する困難さは、想像にかたくありません。地元の文化を守り伝える取り組みに、熱いドラマを感じます。

博多・糸島・唐津の文化財では、多くが整備ののち一般公開されており、建物の来歴に明るいスタッフが在駐しておられました。
観光資源として活用されるのみならず、研究施設・図書館・レンタルスペースなどとして公的役割を与え公開され、地元でも現役で活用されているそうです。行政の手が回らない古民家が取り壊されそうになった時などには、保存運動が起こることもあるとのことですが、関わる有志の多くは、幼い頃からその建物に親しんだ住民なのだと役所の方から伺いました。

使われない建物を、ただ遺産として愛でるためだけに残してゆくのは大変なことです。
九州の日本海側海岸線にある伝統建築たちは、時代にそぐう使命を与えられ使われることで、何度でも社会的に生まれ直すことができるという明るい姿を示してくれていました。建築と人を繋ぐ愛着が、古くからの文化の鼓動を今に伝えているようです。町並とは、今も日々積もりつづける思い出の呼び名なのかもしれません。(文・中村 祐子)

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